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おはようございます
こころ こえ こうげい atelier fika より
しまなみ海道の風をお届けします。
出会いに満ちた尾道は
実に色んな人との交流に満ちていて
たくさんの ”ありがとう ありがとう ” が
日常に溢れています。
ありがたい。
ありがとう。
わたしも よく使うことばです。
このことばについて、
先日亡くなられた
樹木希林さんの
おはなしを目にしました。
このことばを知ると
普段の『ありがとう』に
角度もかわり 深みが添えられます。
… 『お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。
でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、
お釈迦さんの命さえ狙ったりする。
お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが
、ある日、「ダイバダッタは自分が悟りを得るために
難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。 』
『ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、
難が有る、と書きます。
人がなぜ生まれたかと言えば、
いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。』
『今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、
私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。
もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。
ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、
そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。
自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。
受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。』…。
ダイバダッタ…
いますよ います。
そぐそこにも、周りにも、
自分自身の中にも。
それが人間てやつで。
そう、受け止め方ひとつで
人生って 面白くなるんです、ね。
希林さん。
今日も 有難うございます。
佳き一日を。
(こちらから抜粋いたしました、詳しくはこちらを読んでみてくださいね)
https://dot.asahi.com/amp/dot/2018092800052.html
月舟苫屋さん 第二回『知の庭。』
気になる人の気になる本棚。
本棚を開くことは脳ミソの裸をみせる潔さがいる。
人生の節目節目の思い出本を
ピックアップしながら大切な人を想う。
さて。『私はこんな本と共にあった人間です。』
それを開くコミュニケーションは
深く豊かで心が繋がるのが速く、なんと
幸せな時間となることでしょうか。
そして、声を空気に溶かす朗読の時間。
私は矢川澄子さんの『だるまさん千字文』を。
私の勝手な提案に関わらず 出展の皆様、
声を出すことをお受けくださった。
『生きる』『生き方』『働き方』『からだの在り方』…
出展者への本と人生から滲み出る本の一節セレクションが 命の声として放たれた。
一人一人の人生の輪郭が浮かび上がった。
月舟苫屋さんの佇まいとの融合、
まりこさんの生のアート よしえちゃんのご飯が
命の営み 命の歩みとしっかり手を繋いだ一日。
全てに 感謝です。ありがとう!
次回は 晩秋のもよう。
たまたま目にした小学校の時の大親友のブログから。
あ〜!!!こんな言葉、大好きな彼女らしい♪
ちょこちょこ不快なことがあって、
・・・それでも 相手の立場に身を置いて考えたら
大分小さく収まってきて、まぁ、いいかぁ、と思ったのに
誰かに報告したら それがまただんだん嫌なエネルギー化してきて自己嫌悪。
胸に収めておけばよかったのか、一応爆発させて消化しちゃった方が
すっきり忘れられるのか・・・・
時が解決したはずなのに、違うものは違うので
あまりに消化不良だとやはり膿はたまります。
わたし、人生の中で数度しかないけれど
本当にダメ!なときは ドカ〜ンと 思い切り怒ります。
でも、きれいさっぱり恨みなく 感情を忘れるたちで
夫や妹から 「あのこと、あんなに怒ってたのに、全然覚えてないの??」と
びっくりされることがあります。
夫が俺はこう思う・・・と、しみじみ話していたのは
恨みを徳で返す・・・諸説ありますが歴史上デリケートな蒋▲石さんのお言葉
”批判にエネルギーを注ぐより、受け入れてしぶとく生きようと思う”
旧友が 最近 私のココロに身辺に 再登場です。
離れていても 大好きなともだちとは ココロつながる。